白銀の悪魔と緋色の騎士

神に捧げよ

 

 ──人は神に似せて創造された。
 
 
 これはとても光栄なことだと僕は信じていた。
 だからこそ、僕たち人間は神の恵みに感謝して、神の愛に応えるべく生きていくのだ。

 万物は移り行くものだけど、神の愛は変わらない。

 神から愛され幸せに満ちた人生を歩むために、人間は神の教えを知りその教えを守るのだ。そこに老若男女や身分の違いは存在しない。

 僕らは起きてから寝るまでの間に、幾度も神へ感謝の祈りを捧げる。

 目覚めに感謝。
 朝食に感謝。
 労働や勉学に従事できることに感謝。
 家族や友人とのひと時に感謝。
 昼食に夕食に感謝。
 今日という日を無事に終えたことに感謝。

 クレイア聖教会が運営する孤児院で育った僕にとって、祈りと感謝は生活の一部になっていた。呼吸をするかのように、祈りを捧げていたと思う。

 そして、当たり前のように
 その日も僕は神に祈っていた。


 ことの発端は、僕らの通う学園で催された演舞大会での事故だった。とある学生が実力以上の魔術を使ったんだ。

 魔法の行使には代償が必要になる。一般的には自分の持つ魔力を使う。そして当たり前のことだけど、魔法の難易度に比例して必要な魔力も上がっていく。

 あろうことかその学生は、自分の魔力では初級の魔法しか繰り出せないのに、中級も上位の魔法を使ったのだ。
 案の定、彼の魔力では魔法を使いこなすことができず、魔法は術者の魔力を吸い切ると暴走を始めた。

 魔法はどんどん膨張し、観客席目掛けて加速した。

 安全を考慮して演舞場と客席の間には十分な間隔が置かれ、更には防御結界魔法までかけてあったのだが、それは破られてしまった。

 次が出番でたまたま近くにいた僕が、魔法と観客の間に割り込んで、僕のありったけの魔力をぶつけることで相殺した。術者が僕よりも魔力が少ないのも知っていたし、向こうから血相を変えて身元請負人のユーシス様が駆け付けてるのも見えたし、まぁなんとかなるだろうって思ったんだ。

 結果は、僕の利き腕がズタズタに引き裂かれたけど、観客には軽い切り傷程度ですんだ。なのに、なのにだ! 担当教官とユーシス様ににしこたま怒られた。怒る前に良くやったって褒めて欲しかったよ。

 ってなことがあって、僕が守った観客の中に結構いい身分の貴族様がいたとかで、王様から表彰されることになったのだ。

 平民のしかも孤児院育ちの僕が表彰なんて畏れ多かった。王族も聖教会本部も怖いんだよ!
 だけど、その知らせを故郷で受け取ったライハ様や家族とも言えるみんなの喜びに溢れた手紙を読むと、とてもじゃないけど辞退したいなんて言える状況じゃなかった。

「大丈夫か?」
「どうだろうね……」

 孤児院からずっと一緒で、学校の寮でもルームメイトになったロイは、僕の気持ちを察して心配してくれていた。
 ロイは出会ったその日に僕の騎士になるって言い出して、その勢いに負けた僕はそれを受け入れてしまった。それからずっと、もう9年も彼は自称僕の専属騎士を続けている。

「会場までは着いて行ってやれるけど、壇上までは無理だからな」
「分かってるよ。もう子どもじゃないんだから……」
「そんなに嫌なら辞退すればいいだろうが」
「僕だってそうできるなら、そうしたいよ! でも……みんな喜んでるし」

 ロイの冷たい視線を感じる。僕、なにか変なこと言ったっけ?

「………そうかよ」
「呆れたような言い方しないで」
「呆れたような、じゃなくて呆れてんだ。行くって決めたんだろ? 腹括れ」
「……うん」
 
 そんなやり取りがあって挑んだ表彰式は、緊張しすぎて記憶に残っていない。
 王様からありがたい言葉をもらったあと、ロイを探していたら大司教様に声をかけられた。

 なんでも大司教様のご親戚があの場にいたらしい。ささやかな礼がしたいと言われたら、平民で奨学生の僕が辞退できるわけもない。回廊を曲がって曲がって、いくつかの扉を抜けた。どこまで歩かされるのかと疑問も湧いたけど、個人的な礼だから、居住区の来賓室へ向かっているのだと言われると、そうなのかと納得してしまった。

 そうして、誘導されるがまま、気が付けば明かりひとつない廊下を歩いていた。先を歩く大司祭様の姿が不気味に浮かび上がっている。
 
 松明代わりに使用する灯火魔法だ。

 不意に足音がしないことに気がついたら。いつからしなくなったんだ? 明るい回廊を歩いていた頃は、確かに足音は聞こえていたはずだ。

 その疑問の答えが見つかる前に、大司教様の歩みが止まった。

 扉に描かれた魔法陣に見覚えがあった。
 ユーシス様から借りた魔術書に描かれていた。あの魔法陣は……神話にある魔の眷属の封印式だ。

「さぁ、着いた。私からの礼を喜んでもらえると嬉しい」

 数本の蝋燭に照らし出される空間は、とてもじゃないけどお礼をされに招かれたとは思えなかった。

 なんで、大司教様は僕をこんなところに連れて来たんだろう。

 不安が胸に広がる。いつも隣にいるロイがいないから、不安倍増だ。

 ロイ……なんでこんな時に横にいないんだよ。

 指示されるがまま、部屋の中央に立った。
 空気が動き始めた。カビ臭い匂いが鼻をついた。
 足元から微力な魔力が立ち込めてくる。床が振動しだし、魔法陣の中に黒い渦がゆっくりと現れた。

「さぁ、深い呼吸を」

 離れた場所にいる大司教様の声が耳元でした。ねっとりとまとわり付くように囁く声。
 拒絶したいのに、僕は声に従って大きく息を吸った。
 立ち込めた黒い渦が僕の中に入ってくる。

 胸が焼けるように熱くなった。

「もっと深く深く。全てを神に委ねなさい」
「……全てを……神、に……」
 
 身体中を熱い何かが駆け巡る。

「そう、そのまま全てを神に捧げよ」
「……全てを……」

 熱い……、誰か助けて。誰か……ロイ、ロイ、助けて!

 身体の中が発火してるようだ。
 大司教様の囁く声が脳内に響いて、思考が麻痺していく。

 熱い、熱い。
 熱でおかしくなりそうだよ。ロイ、早く僕を見つけに来て……。
 はっ、はっ。暑さで浅い呼吸しか出来ない。楽になりたい。神に全てを捧げたら、解放されるんだろうか……。

「全てを……か、みに、ささげ……」
「フィオ!」

 間一髪だった。
 囁かれるがまま、大司教様の言う言葉を最後まで言い終えないうちに、血相を変えたロイが飛び込んで来た。

「フィオ、もう大丈夫だ」
「ロイ……ごめ、ぼく、大司教さ、まに……」
「話は後で聞く! 黙ってろ!」

 僕の護衛騎士は本当にどこにでも現れるんだから。相変わらず体内は熱いのに、心は落ち着きを取り戻していた。

「ロイ、フィオを連れてここから離れろ」
「分かってるよ! あんたはどうするんだ?」
「すぐに追いつく」
「そうかよ!」

 悔しいなぁ。ロイは僕を軽々と抱き抱えやがった。更に、僕なんか負荷にもならないと言わんばかりに、走り出す。
 そんなロイを見ていたくなくて、視線を外した。その視線の先にいたユーシス様と目が合った。
 
「……ユーシス、さま……なん、でここに……?」
「喋んなよ。下噛むぞ」

 陽の光の差す場所まで駆け抜けて、やっとロイは走るのを辞めた。

「てめぇは誰だ?」

 ロイ? 誰かいたの?

「ユーシスはどうしました?」
「ああ?」

 ロイ、ここにいるのは司教様だろ? そんな対応しちゃダメじゃないか。

「はぁ……。なるほど、一番あってはならない方が選ばれたということですか。まぁ、私にはどうでもいいですが」
「どけよ」
「エディとアレのお気に入りと言うから期待していたのですが、とんだ野犬と言ったところですか」
「先を急いでいるんだ! どきやがれ!」

 離れた場所から数人の声と走る足音が聞こえた。

「大声を出さないでくださいよ。面倒くさいことになったではないですか」

 ため息と共に箱が開くような軽い音がしたと思ったら、甘い匂いが立ち込めた。

 ロイは僕を落としそうになるのを、膝をついて彼の身体で受け止めてくれた。

 ロイの耳元に長い髪の男性の顔が近付いた。「そう言うことかよ」とひと笑いして、ロイは僕を護るように抱きしめながら倒れた。男性がロイになにを囁いたのか、僕には分からない。だけど、ロイの顔は安堵の色を浮かべていたように思えた。

「彼は眠っただけですよ。あなたも……さすがと言うべきか、だからこそと言うべきか。さっさと落ちてください」

 
 あれ? 深い緑色のローブ? この色は司教様じゃない……。
 
 甘い香りが強くなって朦朧となる意識の中で、僕はそんなことを考えていた。

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